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ちょっと本を作っています

ちょっと本を作っています

第十二話 閃いた

第十二話 閃いた




旧友現る

「ワシ、いま東京におるねん。どや、儲かってるか?」

小学校の時からの無二の親友、勝ちゃんから電話が架かってきました。

東京支社の視察に来ていたようです。

大きな会社の社長です。

彼ほど波乱万丈な人生を送ってきた男もいません。


小学校の時代、父親の会社の倒産で一家は夜逃げしました。

でも彼は、夜逃げ先からこっそりと元の小学校へ通っていました。

「友だちと別れとうないねん。大丈夫、ワシ、はしこいから」

「捕まらへん。ワシ、そんなアホやない」

こっそり小学校に現れては、いずこへともなく消えて行きます。


「腹減ったー、おばちゃん、何か食わして-な」

私が居なくても、私の家でちゃっかりと食事をしていきます。

「あの子はいい子や。何をしでかしても憎めへん」

勝ちゃんの境遇に同情していた私の母の口ぐせでした。

「おっちゃん、おばちゃん。ワシなー」

「いつか、座布団のようなビフテキを食うたるねん」


いつも話題を提供しては帰って行きました。

そんな月日も足早に過ぎ、小学校の卒業式です。

「もう○ちゃんとも会えへんなー」

涙ながらに去っていきました。



お前、なんでここにおるねん

私は、中学校は越境入学です。

大阪市内の中学校です。

私が余りガラの良くない連中と付き合っていたので両親が決めました。

同じ中学校に行かせたくなかったのです。


中学校の入学式の当日です。

遠く離れた新しい学校に、知っている友達はいません。

そのはずでした。


「○ちゃん、○ちゃんやんかー」

「何でここにおるねん」

わずか二週間ほど前に涙ながらに別れた勝ちゃんです。

私と同じ制服と制帽です。



八起商会

偶然も偶然。彼の一家の夜逃げ先はこの町だったのです。

中学時代も、私はケンカばかりしていました。

不良グループともろにぶつかるのです。


いつも止めに入るのが勝ちゃんです。

小学校時代と同じです。

彼らも勝ちゃんには一目置いていました。

勝ちゃんの口のうまさは天性のようでした。


高校を卒業して働き始めた彼に、社会の荒波が押し寄せます。

学歴もない彼は、様々な商売を転々としたようです。

会うたびに仕事が変わっていました。

そのころ私はすでに東京です。


彼の汚くて小さな事務所には「八起商会」と貼られていました。

「ワシ、七回転んだからな。今度は八起き目や」

相変わらず屈託のない彼が居ました。



そして500人以上を抱える会社を興した

「アホみたいに儲かるわー」

「今度は札幌と仙台に支社を作るんや」

まさしく晴天の霹靂、男子一日会わざればの言葉どおりです。

大会社の社長になった勝ちゃんが現れました。


「電話転送機」です。

彼が開発させた商品がバカ当りです。

同じ時期、東京ではチェスコムという会社が同じ機械を開発しました。

大阪ではリレーフォンシステム。

勝ちゃんの会社です。


「かみさんがハラボテになったんや」

「ほかに事務員おらへん」

「自宅で電話が受けられるように電電公社へ行ったんや」

「そんなんムリや言いやがるねん」

「ほなら自分で作ったろおもてん」

「大学の研究室におった友だちに、ちょこちょこと作らしてん」

「でもな、後でこれいける思て特許取ろ思たらダメやねん」

「電電法違反やて」

「民間は電話転送はあかん言うねん」

「でも調べたら、罰則規定があらへん」

「ほんでやったろ思てん」


この電話転送機は売れに売れました。

東京のチェスコムは個人ユーザーを追いかけ、リレーフォンは企業が相手です。

勝ちゃんの勝ちゃんたるゆえん、資金が無ければアイデア勝負です。


まずJAFに食いつきました。

アイデアとセットです。

夜は事務所の電話を拠点に転送して人件費大幅削減です。

次にテレビショッピングに目を付けました。

テレビショッピングの電話受けを一箇所に集中させたのです。


テレビを見たお客さんは市外局番なしの電話番号なら飛びつきます。

でも、大都市全部にそれぞれ数百人のオペレーターは配置できません。

まず時間帯をづらしてテレビ放映します。

北海道は10時、東北地方は11時、関東地方は12時……。

各地域に転送機を数百台配置してあります。

でも電話受けはほんの数箇所です。

全地域がこれで網羅できます。


このテレフォンサービスのためにテレワークという会社も作りました。

「身体障害者の仕事を作りたかったんや」

彼の母親は熱心なクリスチャンです。

奉仕活動には熱心な人です。

そして彼は苦労してきた母親に人一倍親孝行です。



もう一度私の話です

「メシ、食おうや」。フラッと私の事務所に勝ちゃんが現れました。

「おっちゃんとおばちゃん、どうしてる?」

食事をしながらの話です。

「いやー、ここんとこ資金繰りも大変で、帰ってないよ」

「それにうちのスタッフ、スキー教師が多いだろ」

「肝心のスキー書を売る時期に営業スタッフがいないんだよ」

「ちょっとヤバイ状況が続いているよ。アイデアも出てこないし」

「そおーか、ちょっとドライブ行こ。新しいクルマを買おたんや」


ピカピカの高級車の助手席に乗り込むと走り始めました。

市街地から首都高速へ。

首都高速から東名高速へ。

「どこ行くんや」

「おじちゃんとおばちゃんとこ、大阪や」


「ええから、ええから。始発の新幹線で帰ってきたらええやろ」

ちょっとのドライブが大阪です。

「相変わらずやな、勝ちゃんは……、まー、いいけどね」



閃いたー

「ところでどう、仕事は?」

「テレワークはうまくいっとおるけど、転送機はもうあかんな」

「儲かる思たらNTTが自分で始めよったからな」

「それに企業の間での連絡はこれからはFAXやで」

「あれ便利やわ。何か考えてーな、儲かる方法」

「FAXの電話帖ってあるの?」

「そんなんあらへん。そのうち出来るかもなー」


ここで閃きました。

書店営業に使えるって。

書店名簿に、FAX番号の載っていたのを思い出したのです。

そのころはまだほんの少し、20店に1店ぐらい掲載されていました。


翌日東京へとんぼ返りしてFAXに飛びつきました。

FAX用のチラシを作って一軒づつ送信です。

五百軒ぐらい送ったでしょうか。

送った数だけ注文が飛び込みました。

「ご案内有難うございます。いま御社の○○が売れています。……」

丁寧な礼状の添えられた返信も数多くありました。



パナソニックの開発担当者まで飛び込んできた

まずはFAX名簿の拡充です。

書店名簿にはほとんど載っていません。

住まいの近くの奥さんたちにアルバイトを頼みました。

「○○書房です。得意先名簿の整理をしています。FAX番号を教えて下さい」

手当たり次第電話を入れてもらいました。


八千軒近く集まりました。

FAXが普及し始めた初期のころです。

FAXのない店も多い時代です。

調べてはFAXで注文書を送る作業が続きました。

一日中FAXに付きっ切りです。


そこで、記憶させた番号へ次々とFAXを送る順次同報機能に目を付けました。

ところが家電店を回っても、最大限でも三百件程度の記憶機能しかありません。

パンフレットを次々と取り寄せました。


ありました三千件ってのが。

その頃で、一台二百万円以上です。

三台注文しました。

東京に二台、大阪に一台置いて全国一斉に配信です。

もの珍しさもあって、山ほどの注文が飛び込みました。


「どのようにご利用なさっているのか、聞かせて頂きたいのですが」

パナソニックから電話が架かって来ました。

開発したはいいものの、ほとんど売れていなかったそうです。



そして今

今ではFAXを使って書店さんへの販売促進をするのは当り前になりました。

それどころかFAX公害と言えるほど書店さんにはFAXが飛び込みます。

今では私はほとんどFAXを使わないようにしています。


さまざまなビジネス書が出ています。

成功体験やアイデアが紹介されています。

その中からヒントをつかむのはいいことです。

でもヒントだけです。

それ以上でも、それ以下でもありません。


人の成功例を真似しても、たぶん上手く行かないでしょう。

人がやっていないから斬新でもあり、注目を集めるのではないでしょうか。

知識ではない、知恵が必要なのだと私は考えています。



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